こんにちは〜 

初夏の匂いがするさわやかな天気
お昼時間の静かなひとときです。

昨日の続き、今日は「捜す」です。
「捜しなさい。
そうすれば見つかります。」ルカ11:9

ここでの「捜す」の漢字が、捜査、捜索の
捜すという感じだというところが興味
深いですね。

最近感じることは、求めていることを
得るためには、自分の目で足で心で
調査すること、模索することがとても
大切だということです。

こういう物がほしい、こういうことを
したいと思いますが、そこには難問
という壁がよく登場してきます。
そんな時、2つの選択肢があります。
1「この壁があるからできない」と
考え、あきらめる。
2 「これができるようにするために
どうすればこの壁を乗り越えて
または打ち破って先に進めるのか」捜す。

特に私が最近ぶち当たる難問は、やはり
物質的なこと、経済的なことです。
この事を今する必要がある、すべきだと
思いつつも、その難問にぶち当たると
現実的に無理という答えしか出てきません。
今ある状況に着目すると、現実にある事で
「今は無理」となるのです。
しかし、ある事に気付きました。
発想を変える、物の見方、考え方を変えてみる
それは、何もなくてもできる事です。
それを変えてみることにしました。
そうすると、今の状況の中で何かできる
方法が捜せば必ず見つかるはずだという
答えにたどり着いたのです。
つまり、聖書が言っている「捜す」は、
あきらめずにできる方法は必ず見つかる。
あなたが捜すことを熱心に行うなら、それは
見つけることができる。と言っているのです。

捜査、捜索を考えてると、確かにその作業は
熱心に調査して捜す努力をするところに実を
結ばせるものなんですね。

難問の壁にぶつかった時、「できない」理由
に押しつぶされ、先に進まめなくなるのではなく
必ずできる方法があるはずだと希望を持ち期待し
捜し続けるなら必ず、見つけ出せると約束して
います。

私は、この原則は深いと感じています。
捜すんです、捜せば必ず見つける。
これは、なんと希望に満ちた言葉でしょうか。

マタイの福音書13:45にはこんな言葉があります。
「天の御国は、良い真珠を捜している商人の
ようなものです。」

それでは、明日は「たたく」についてです。